ドイツの法と伝統:社会の二面性を読み解く
イギリス社会の中心として機能してきたパブ文化の歴史と現代における変容を解説。中世から現代までのパブの発展過程、社交の場としての役割、伝統的なエールからクラフトビールへの変化、地域ごとの特色ある「パブライフ」など、イギリスの文化的アイコンを多角的に分析します。

1. パブの歴史:ローマ時代から現代まで
イギリスのパブ(Public House)の起源は、紀元43年のローマ帝国による ブリタニア征服にまで遡ります。ローマ軍が帝国全土に建設した 「タベルナ」(休憩所)が、現代のパブの原型とされています。 その後、アングロサクソン時代には「エールハウス」として発展し、 中世期には巡礼者のための「インン」が主要な道路沿いに設立されました。
パブの発展における主要な歴史的転換点:
- 中世期(1200年代〜):修道院が醸造の中心となり、「エールワイフ」と呼ばれる女性たちが家庭で醸造したエールを販売する文化が発展。修道院の記録によれば、当時のロンドンには約1,300の「エールハウス」が存在したとされる
- チューダー朝・スチュアート朝(1500〜1600年代):「パブリックハウス」という概念が確立し、コーヒーハウスとの社会的区別が明確化。シェイクスピアの作品にも当時のタバーン文化が描写されており、「フォルスタッフ」などの酒場の常連キャラクターが登場
- ジン・クレイズ(1700年代):安価なジンの大量生産により「ジン・パレス」が都市部に急増し、社会問題化。1751年の「ジン法」制定までは、ロンドンだけで7,000以上のジンショップが存在し、ホガースの版画「ジン・レーン」が当時の社会問題を描写
- ビール法(Beer Act 1830):ビールの販売規制緩和により「ビアハウス」が急増し、現代のパブ文化の基盤が形成。法制定後の2年間で、イングランドとウェールズで24,000以上の新規ビアハウスが開業
- ヴィクトリア朝(1837-1901):現存する多くの歴史的パブが建設され、装飾的な「ジン・パレス」スタイルの建築が流行。特に1870年代から1890年代にかけて「パブ改革運動」が起こり、より上品で家族向けのパブデザインが登場
20世紀のパブの変遷としては、第一次世界大戦中の 「酒場営業時間制限法」(DORA)により、現在も続く早い閉店時間の 伝統が始まりました。この法律は「王は酔っぱらいの国を守るために武器を取らないようにせよ」という リンカーン卿(当時の海軍大臣)の言葉を背景に制定され、労働者の生産性向上と軍需工場での事故防止が目的でした。 1960〜70年代には「ローリーパブ」と呼ばれる 近代的でオープンプランのパブが登場し、従来の「サルーンバー」と 「パブリックバー」の階級的区分が薄れていきました。この時期の変化は、 第二次世界大戦後の社会階層の流動化と、より平等主義的な社会観の台頭を反映しています。
2000年代以降の変化としては、2007年の全面禁煙法施行により パブの雰囲気と客層に大きな変化がありました。禁煙法導入前の調査では、パブの空気中には 家庭の約40倍のニコチン濃度が検出されていましたが、法施行後は新たな客層(特に女性や家族連れ)の 増加が見られました。また、2003年の 「免許法」改正によるオープン時間の延長や、大手パブチェーン (JDウェザースプーンなど)の台頭により、伝統的なパブ経営から よりコーポレート化された運営モデルへの移行が進んでいます。JDウェザースプーンは 現在900軒以上のパブを所有し、標準化されたメニューと価格設定によって伝統的な 個人経営パブとは一線を画しています。
社会史的観点からは、パブはイギリス社会の階級構造を 反映する空間でありながら、同時に階級間の交流を可能にする 稀有な公共空間でもありました。ジョージ・オーウェルは随筆「完璧なパブ」(1946年)で 「階級の垣根を超えた交流ができる場所」としてパブを称賛しており、工業革命期には労働者階級の 「第二の居間」として機能し、現代でも地域コミュニティの中心的存在として、 多くの社会活動(チャリティイベント、クイズナイト、地域会合など)の 場となっています。イギリス全土で年間約170万ポンドのチャリティ資金がパブ関連の イベントで集められていると推定されています。
現在、イギリス全土には約47,000軒のパブがあるとされていますが、 その数は2000年の約60,000軒から減少傾向にあります。この減少率は週に約18軒のペースで、 特に農村部の減少が顕著(年間6.5%減)となっています。この減少の背景には、 不動産価値の上昇(ロンドンのパブの土地価値は過去20年で約300%上昇)、若年層の飲酒習慣の変化(18-24歳の29%がアルコールを飲まないと回答)、オフライセンス(持ち帰り酒販店)での 安価なアルコール販売(スーパーマーケットでのビール価格はパブの約4分の1)などの要因があります。一方で、「資産価値のあるコミュニティ」 (Assets of Community Value)としての登録パブは2,000軒を超え、文化遺産としてのパブの価値が再認識されています。 さらに「コミュニティ所有パブ」は約150軒存在し、地域住民が共同で買い取って経営するという 新たなモデルも注目されています。
3. エールからクラフトビールへ:飲酒文化の変遷
イギリスの飲酒文化、特にビール文化は、産業革命や社会的変化と共に 進化し続けてきました。伝統的なカスクエール(樽熟成の生ビール)から 最新のクラフトビール革命まで、その変遷はイギリス社会の変化を 映し出す鏡とも言えます。イギリスのビール消費量は年間約40億パイント(約22億リットル)で、 一人当たり年間約67リットルという統計があります(2022年、英国醸造者協会データ)。
イギリスのビール文化の変遷:
- 伝統的なエール時代(〜19世紀初頭):各地域や家庭で独自の製法により醸造された多様なエールが主流。当時は水質の悪さから、ビールは 衛生的な飲み物として重要で、平均的な成人は1日に約3リットル消費していたと推定される
- 産業革命期(19世紀):大規模醸造所の台頭、「ポーター」や「スタウト」など新スタイルの開発、鉄道網による全国流通の実現。 特にロンドンのポーター醸造所は世界最大の産業施設の一つとなり、バークレイ・パーキンス醸造所では 年間20万バレルを生産していた記録が残る
- ラガー革命(1960〜80年代):冷たい炭酸入りラガーの人気上昇、「欧州化」する嗜好、伝統的エールの消費減少。 1970年にはビール消費全体の約7%だったラガーが、1990年代には60%以上を占めるようになった
- リアルエール運動(1970年代〜):伝統的なカスクエールを守るためのCAMRA(Campaign for Real Ale)設立と活動。 現在のメンバー数は約18万人で、世界最大の消費者運動団体の一つとなっている
- クラフトビール革命(2000年代〜):小規模醸造所の急増、新しい風味や醸造法の実験、アメリカクラフトビールの影響。 2000年には約500だった醸造所数が、2022年には約2,500に増加している
地域的特色については、イギリス各地に独自のビールスタイルと 飲酒文化が発展してきました。ロンドンは歴史的に「ポーター」と「スタウト」の中心地で、 18世紀には「ジン・レーン」と呼ばれる地区でジンの大量消費が社会問題となりました。 バートンオントレントはその水質から「インディア・ペール・エール(IPA)」発祥の地で、 特有の硬水(高ミネラル含有)が苦味の強いホップの特性を引き立てるため、 インド向けの輸出用ビールとして発展しました。 ヨークシャーとマンチェスター周辺は「ビター」と呼ばれる琥珀色のエールが特徴的で、 地元のサミュエル・スミス醸造所は1758年創業の伝統を守り続けています。 ウェールズでは「ウェルシュ・ビター」が愛され、地元のブレインズ醸造所(1882年創業)は 地域アイデンティティの象徴となっています。スコットランドでは ウイスキー製造との関連でより甘いエールの伝統があり、「ヘヴィ」と呼ばれる 濃厚なエールが伝統的に好まれてきました。
パブとブルワリー(醸造所)の関係も時代と共に変化してきました。 19世紀から20世紀半ばまでは「タイドハウス」(特定醸造所と契約関係にあるパブ)が 主流でしたが、1980年代の「ビールオーダー」(醸造所の寡占を規制する法律)により 自由化が進みました。この法改正により、ビッグ6と呼ばれる大手醸造所(バス、アライド、 ワイトブレッド、スコティッシュ&ニューカッスル、ワットニー、カーリング)は所有パブの大部分を 手放すことを余儀なくされました。近年ではパブ内に小規模醸造設備を持つ「ブリューパブ」や、 「タップルーム」(醸造所直営の試飲施設)の人気も高まっており、 消費者がより直接的に醸造プロセスに触れる機会が増えています。現在約500の「ブリューパブ」が 営業しており、特にロンドンのバーミンジーエリアには「バーミンジー・ビア・マイル」と呼ばれる 醸造所集積地が形成されています。
クラフトビール革命は、2000年代以降のイギリスビールシーンに 大きな変革をもたらしました。特に画期的だったのは、スコットランドのブリュードッグ(BrewDog)の 2007年の創業で、挑戦的なマーケティングと革新的なビアスタイルで業界に衝撃を与えました。 ブリュードッグ、カーネル(The Kernel)、 ソーンブリッジ(Thornbridge)などの革新的な醸造所が登場し、 伝統的スタイルの現代的解釈や、アメリカ風の香り高いホップを使用した 新しいビアスタイルが人気を集めています。特に「ニューイングランドIPA」や「ペイストリースタウト」など、 伝統的なイギリスビールの概念を覆すスタイルが若い世代を中心に支持を集めています。ロンドンのバーミンジーエリアには 「ベアミンジー・ビアマイル」と呼ばれるクラフトブルワリーの集積地が形成され、 若い世代を中心に新しいビール文化のエピセンターとなっています。現在、クラフトビールはイギリスの ビール市場全体の約13%を占め、年間成長率は約5%と、全体市場の停滞と対照的に拡大を続けています。
飲酒パターンの変化も顕著です。1970年代までの「パイント」 (約568ml)中心の大量飲酒文化から、現在は「サンプラー」(少量の試飲セット)や 「ハーフパイント」を通じた多様なビールの比較・鑑賞型の消費スタイルへと シフトしています。「ビアフライト」と呼ばれる複数のビールの少量サンプルセットは 2010年代に入って一般的になり、また「ビアテイスティングイベント」には年間約15万人が 参加すると推定されます。また、健康志向の高まりを反映し、低アルコールビアやノンアルコールビア 市場も急成長しており、飲酒文化の「食文化化」「多様化」が進んでいます。 非/低アルコールビール市場は2015年から2020年の間に約25%成長し、特に18-24歳の若年層での 支持が高いというデータがあります。
ジェンダーと飲酒文化の観点では、伝統的に男性中心だった ビール文化にも変化が見られます。かつて女性は主にワインやシャンディ (ビールとレモネードの混合飲料)を飲むことが一般的でしたが、現在では 女性醸造家や女性中心のビール愛好会も増加しています。イギリスのブルワリーの経営者または 醸造責任者の約25%が女性との調査結果(2020年、Society of Independent Brewers)もあり、この数字は 10年前の約8%から大幅に増加しています。Women On Tap、 ディヴァズ・アンド・エール(Divas & Ale)などの団体は、ビール業界における 女性の存在感を高める活動を展開しています。年に一度開催される「フェミアレ(FemAle)」フェスティバルは 女性醸造家によるビールのみを提供する独自のイベントとして注目を集めています。
今日のイギリスには約2,500の醸造所があり、これは1人当たりの醸造所数として ヨーロッパ最多と言われています。伝統的なカスクエールの保存と並行して 革新的なクラフトビールの発展が進む「融合的進化」が特徴であり、 ビール文化の多様性とその社会的重要性は、現代イギリス社会において 依然として強い影響力を持っています。CAMRAと新世代のクラフトビール愛好家の間での 「リアルエール」の定義を巡る議論(特に二酸化炭素の使用に関して)などの論争は続いていますが、 総じて多様性を許容する方向へと進んでいると言えるでしょう。
4. パブの建築と内装:文化的意義と変遷
イギリスのパブは建築物としても文化的に重要な存在であり、その様式や内装は 時代の美的感覚や社会的価値観を反映してきました。現在、約5,000軒のパブが 歴史的建造物として英国歴史的建造物協会(Historic England)により保護されており、 そのうち約270軒がグレードI(最高レベル)またはグレードII*(次点)に指定されています。 これらはイギリスの建築遺産の重要な一部を形成しています。
パブ建築の歴史的発展:
- 中世・チューダー様式(〜1600年代):木骨造りの建物、低い天井、大きな暖炉を特徴とする古典的なインの様式。現存する最古のパブの一つ、 ノッティンガムの「イェ・オールデ・トリップ・トゥ・エルサレム」(1189年創業と言われる)はこの様式の代表例
- ジョージアン様式(1714-1830):古典的な比率と対称性、より整然とした空間、「コーチング・イン」(馬車の停留所)としての機能性重視。 ロンドンの「ジョージ・イン」(サザック)はこの時代を代表するコーチング・インの保存例
- ヴィクトリア朝「ジン・パレス」(1830-1900):華麗な装飾、エッチングガラス、タイル張り、複数の部屋に分かれた階級別構造。 特に1870年代から90年代に建設されたパブは「改良型パブ」と呼ばれ、バーや室内の細分化が特徴
- アーツ・アンド・クラフツ運動(1880-1920):手工芸的な装飾、自然をモチーフにした装飾、質の高い素材の使用。 この時代を代表するのはチャールズ・ヴォイジーやC・F・A・ヴォイジーといった建築家が手がけたパブで、 「ブラックフライアーズ」(ロンドン)は1905年に装飾美術家ヘンリー・ポールによる内装が施された名例
- モダニスト・パブ(1920-60年代):機能主義的デザイン、より開放的な空間、人工素材の使用。 特に「改造パブ運動」の一環として1930年代に建設された「サンセット」パブは、 アール・デコやアール・ヌーヴォーの要素を取り入れた近代的デザインが特徴
- ポストモダン・テーマパブ(1980-90年代):歴史的スタイルの折衷、アイリッシュパブやスポーツバーなどのテーマ性。 この時代に「ワナビーズ」「オライリーズ」などのチェーン展開されたテーマパブが登場し、 約300軒のアイリッシュパブが英国内に開業
- コンテンポラリー・デザイン(2000年代〜):産業的美学、ミニマリズム、クラフトビール文化と連動したタップルームスタイル。 「ブリュードッグ」チェーンは工業的な素材と最小限の装飾を組み合わせた「クラフトビーアエステティック」を確立
パブの室内空間構成においては、歴史的に階級や機能に基づいた 区分が見られました。19世紀から20世紀半ばまでのパブでは典型的に 「パブリックバー」(労働者階級向けの簡素な空間)、「サルーンバー」 (中産階級向けの装飾的な空間)、「プライベートバー」(特定のコミュニティや 会員向け)、「ラウンジ」(女性も利用可能な比較的上品な空間)などに 分かれていました。社会学者マス・オバザベーションの1940年代の調査によれば、 階級によってパブ内での居場所が厳密に区分されており、労働者階級は「パブリックバー」、 中流階級は「サルーンバー」や「ラウンジバー」を利用する傾向が強かったとされています。 1960年代以降は「ローリーパブ」(オープンプラン)の 普及により内部区分が減少し、より社会的に包括的な空間設計となっています。 この変化は社会学者レイ・オルデンバーグが提唱した「第三の場所」の概念と符合し、 より開放的で多様な社会交流を促進する要因となりました。
象徴的な要素としては、伝統的なパブサイン(看板)は 単なる広告以上の文化的意義を持ちます。中世には識字率の低さから 絵による表現が主流で、「レッドライオン」「クラウン」「ロイヤルオーク」 などの伝統的名称は歴史的出来事や王室との関連を示しています。例えば「ロイヤルオーク」は 内戦時にチャールズ2世が樫の木に隠れて逃げたという逸話に由来し、現在約650軒のパブがこの名を冠しています。 内部では「スネグ」(Snug)と呼ばれる小さな仕切られた空間や、 「イングルヌック」(暖炉の両側の窪み)など、特徴的な建築要素が コミュニティ形成や社会的交流の場を提供してきました。特に「スネグ」は 牧師、警察官、女性など当時のパブ文化で居心地が悪いとされる人々が 利用できる「避難所」的な役割も果たしていました。また伝統的な「パブミラー」は 19世紀後半に普及し、当時の贅沢品であったガラス鏡に複雑なエッチングを施すことで 室内に光を反射させる機能性と装飾性を兼ね備えていました。
保存と革新のバランスも重要な課題です。 英国歴史的建造物協会(Historic England)やナショナルトラストは 多くの歴史的パブの保存に取り組んでいますが、同時に現代的なニーズに 対応するための改修も必要とされています。「パブハブ(Pub is The Hub)」イニシアチブのような 組織は、歴史的パブの建物を保存しながら、農村部コミュニティの必要に応じて 郵便局、村の店舗、コミュニティスペースなどの機能を追加する取り組みを支援しています。 多くの歴史的パブでは 伝統的外観を保ちつつ、内部はアクセシビリティの向上、エネルギー効率の 改善、現代的な飲食ニーズへの対応などの現代化が進められています。「グレード登録」された 歴史的パブでも、太陽光パネルの設置や省エネ設備の導入など、サステナビリティへの 取り組みが増えています。
地域的多様性も見逃せません。コッツウォルズの蜂蜜色の 石造りパブ、ロンドンの装飾的なヴィクトリアン・パブ、ヨークシャーの 素朴な石造りの村のパブなど、地域の建築材料や伝統を反映した多様な パブ建築が存在します。例えばコーンウォールでは地元の花崗岩を使用したパブ、 ケントでは「オーストハウス」と呼ばれるホップ乾燥小屋を改装したパブなど、 地域特有の建築様式が見られます。こうした多様性はイギリスの文化的景観の 重要な一部となっています。英国観光局の調査によれば、訪英観光客の約40%が 「歴史的パブの訪問」を旅行の動機として挙げており、パブ建築は国の重要な文化資源となっています。
21世紀のパブ設計では、伝統的な居心地の良さと現代的な機能性の バランスが求められています。多くの成功している現代のパブでは、 歴史的要素を保存しながら、高速Wi-Fi、充電ポイント、快適な座席、 現代的な食事スペースなどを統合し、多様なニーズに対応しています。 「ザ・パイロット・イン」(グリニッジ)のような歴史的パブでは、400年以上の歴史を持つ 建物内に最新の技術を取り入れつつ、伝統的な雰囲気を維持することに成功しています。 また、サステナビリティへの関心から、エネルギー効率の高い照明や 暖房、リサイクル素材の使用、地元の職人による内装など、 環境に配慮した設計アプローチも増加しています。「ザ・ロングボート」(ブライトン)は 英国初のカーボンニュートラルパブとして注目を集め、再生可能エネルギーの利用や 廃棄物削減の取り組みで先駆的な役割を果たしています。
パブ建築は単なる機能的空間を超え、イギリス文化のアイデンティティを 物理的に表現するものとなっています。建築史家ギャビン・スタンプは 「パブは最も民主的な建築形態であり、人々の生活と直接結びついた建築遺産である」と 述べています。パブが形を変えながらも存続し続ける その能力は、伝統を尊重しつつ変化に適応する イギリス社会そのものを象徴していると言えるでしょう。
5. 地域ごとのパブ文化:多様性と特色
イギリスのパブ文化は一様ではなく、イングランド、スコットランド、 ウェールズ、北アイルランドの各地域、さらには都市部と農村部で 異なる特徴や伝統を持っています。これらの地域差は歴史的背景、 地元の産業、言語や文化的アイデンティティなどの要因によって 形成されてきました。2022年の調査によれば、一人当たりのパブの密度は ロンドンで約1,300人に1軒、農村部のカンブリアでは約470人に1軒と、 地域による大きな差があります。
主要地域のパブ文化の特徴:
- ロンドン:歴史的な「ジン・パレス」の伝統、多国籍で多様な客層、より匿名的な社交文化、高いデザイン性と専門化(ジンバー、クラフトビールパブなど)。 ロンドンでは歴史的に「パブ・クロール」(複数のパブを巡る習慣)が発達し、「セブン・ナイルズ・ウォーク」のような伝統的ルートがある
- 北イングランド:より共同体的で親密なパブ文化、伝統的なビターエールの強い支持、「ワーキングメンズクラブ」の伝統、地元スポーツチーム(特にフットボール)との強い結びつき。 ニューカッスルでは「ビッグ・マーケット」周辺に約30軒のパブが密集し、週末の「ナイトアウト」文化の中心となっている
- スコットランド:「パブリックハウス」ではなく「パブリックバー」または「バー」という呼称が一般的、より長い営業時間、ウイスキー文化との融合、伝統音楽の重要性(セッションなど)。 エジンバラの王室マイル周辺には、400年以上の歴史を持つパブが複数あり、各々が独自の民話や歴史を持つ
- ウェールズ:「タファン」(Tafarn)と呼ばれる伝統的パブ、ウェールズ語の使用、聖歌隊やラグビー文化との強い結びつき、日曜日の酒類販売に関する独自の歴史。 1881年から1996年まで存在した「ウェット・サンデー」と「ドライ・サンデー」の区別は、ウェールズの宗教的・文化的特色を反映していた
- 北アイルランド:セクタリアン(宗派)分断の影響、プロテスタント系と共和派のパブの区別、伝統音楽セッションの重要性、比較的保守的な雰囲気。 ベルファストでは「ピースウォール」を挟んで、プロテスタント地区とカトリック地区のパブが明確に分かれている地域がある
- 農村部:コミュニティの中心としてより多機能(郵便局、店舗、会合場所などを兼ねる)、季節的な地元行事との結びつき、「アール・ハウス」(高品質な食事を提供するパブ)の増加。 サマセットやデヴォンなどでは「ファーム・トゥ・パブ」の概念が強く、地元の農産物を使用したメニューを提供するパブが多い
地域特有の習慣や伝統も多く見られます。北イングランドでは 「ドミノ」や「ダーツ」などの伝統的なパブゲームが依然として人気がある一方、 ロンドンでは「パブクイズ」が知的社交の場として機能しています。 英国パブクイズ協会によれば、全国で週に約22,000のパブクイズが開催され、 約520,000人が参加しているという調査結果があります。 スコットランドの「バーンズナイト」(1月25日の詩人ロバート・バーンズを 祝う行事)やウェールズの「エイステズフォド」(詩と音楽の祭り)など、 地域の文化的行事がパブを中心に展開されることも特徴的です。 こうした行事は単なる飲酒の機会を超え、地域の文化的アイデンティティを 強化する重要な役割を果たしています。
地域の飲酒文化にも違いがあります。スコットランドでは 「ハーフ・アンド・ハーフ」(ビールとウイスキーのチェイサー)が一般的で、 北アイルランドでは「ギネスとブッシュミルズ」の組み合わせ、西カントリーでは 「サイダー」文化が強いなど、地域ごとの好みがはっきりしています。 特にデヴォンとサマセットは「サイダーカントリー」として知られ、約500年以上の サイダー醸造の伝統があります。 また、「ラウンド」(順番に全員の飲み物を買う習慣)の厳格さも地域により異なり、 北部ではより厳格に守られる傾向があります。社会学者ケイト・フォックスの調査によれば、 ラウンドを守らない行為は北部では深刻な社会規範違反と見なされるのに対し、 南部ではやや寛容に扱われる傾向があるとされています。
地域の言語とパブ文化の関係も注目されます。ウェールズでは 「ウェールズ語のみのパブ」が言語保存とアイデンティティ維持の場として機能し、 カーディフの「タファン・イー・デゥウ」やカーナヴォンの「タイ・コーヒ」などが ウェールズ語話者のコミュニティハブとなっています。 スコットランドの一部地域では「ゲール語ナイト」が開催されるなど、 少数言語の保全とパブ文化が結びついています。また、地域特有の方言や俗語が パブの会話で重要な役割を果たし、地域アイデンティティを強化しています。 例えばヨークシャーの「サッピングタイム」(飲む時間)、ニューカッスルの「ガニング」(一気飲み)など、 地域特有の飲酒関連用語は文化的アイデンティティの一部となっています。
現代の変化と適応においては、地域によって対応が異なります。 例えば、観光地のパブは「真正性」と「アクセシビリティ」のバランスを 取ることに注力し、バースやヨークなどの観光都市ではパブはしばしば地域の歴史や 文化を紹介する「非公式な文化大使」としての役割も担っています。 没落工業地域のパブはコミュニティ再生の核として 機能しているケースがあります。例えばシェフィールドの「ケルハム・アイランド」地区では、 閉鎖した工場跡に新たにパブやマイクロブルワリーが開業し、地域再生の 中心的役割を果たしています。また、スコットランドでは2018年に 「最低アルコール価格」制度を導入するなど、地域ごとの政策の違いも パブ文化に影響を与えています。スコットランドの政策は特に健康面を重視し、 アルコール関連問題の軽減を目的としていますが、これにより 自宅での飲酒よりもパブでの社交的な飲酒が相対的に増加する効果もあったとされています。
こうした地域的多様性にもかかわらず、パブが「コミュニティの中心」 「社会的交流の場」として機能するという基本的な役割は全国で共通しています。 社会学者ピーター・キャローの研究では、パブは「共通の経験と記憶を通じて 地域のアイデンティティを強化する場所」であり、様々な社会的背景を持つ人々の 出会いと交流を促進する重要な「第三の場所」であると結論づけています。 グローバル化やチェーン展開による標準化の圧力はありますが、 多くのパブは地域の特色を保ちながら進化を続けており、 「グローカル」(グローバルとローカルの融合)な文化現象として 現代イギリス社会に根付いています。2020年のコロナパンデミック以降、 多くのパブがコミュニティ支援センターとしての役割を果たし、 弱者支援のための食事提供や地域住民の支援活動の拠点となったことは、 パブの社会的役割の柔軟性と重要性を改めて示す出来事となりました。
2. パブの社会的役割:コミュニティの中心として
イギリスのパブは単なる飲食施設を超え、長い歴史の中で地域社会の 結節点として多面的な役割を果たしてきました。「庶民の社交クラブ」 「庶民の議会」とも形容されるパブは、様々な社会階層の人々が交流し、地域の結束を 強化する場として機能してきました。オックスフォード大学の研究によれば、 定期的にパブを利用する人々は、より広範な社会的ネットワークを持ち、 地域社会への帰属意識が強いという結果が出ています。
パブの社会的機能:
パブでの社会的儀礼として、「ラウンドシステム」(交代で 同席者全員の飲み物を買う習慣)は、イギリス独特の相互扶助と 平等性を象徴する慣習です。このシステムは18世紀後半から記録されており、 当初は労働者階級の間で「共同体の連帯」を示す行為として始まったとされています。また「ラストオーダーズ」の呼びかけに 始まる閉店時の一連の流れは、共有される文化的儀式として機能しています。 伝統的なラストオーダーの呼びかけ「Time, gentlemen, please!」は イギリス文化のアイコンとなり、文学作品や映画にも頻繁に登場します。 これらの儀礼はイギリス社会の暗黙のルールを学ぶ場としても重要で、 移民や外国人にとってはイギリス文化への適応プロセスの一部となります。実際に 「イングリッシュ・ランゲージ・パブ」と呼ばれる語学学習とパブ文化体験を組み合わせたプログラムも 存在し、年間約15,000人の外国人学生が参加しています。
歴史的・社会的変遷としては、かつて男性優位の空間だったパブが、 1970年代以降は「ローリーパブ」の台頭と共に女性や家族も歓迎する インクルーシブな空間へと変化してきました。1970年以前は多くのパブで女性専用の「レディースバー」が 存在し、メインバーへの女性の立ち入りは制限されていました。また「ラウンジ」と呼ばれる より上品な空間が女性客のために設けられることもありました。特に「ガストロパブ」 (高品質な食事を提供するパブ)の登場は、女性客や中産階級の増加につながり、 パブの社会的多様性を高めました。初めてこの用語が使われたのは1991年の「イーグル」(ロンドン)で、 現在では約5,000軒のパブがこのカテゴリーに属すると言われています。また、1990年代以降は「コミュニティ所有パブ」 (Community-Owned Pub)の動きも広がり、約150のパブが地域住民による 協同組合方式で運営されています。これらのパブの生存率は一般的なパブより高く(約100%対85%)、 地域に根差した経営モデルの成功例となっています。
デジタル時代におけるパブの役割も変化しています。 ソーシャルメディアの普及でコミュニケーション方法が多様化する中、 パブは依然としてリアルな対面交流の重要な場として価値を保っています。 英国心理学会の調査によれば、ソーシャルメディア上での交流に比べ、パブでの対面交流は 心理的幸福感や所属意識の向上により強い効果があるという結果が出ています。 多くのパブがWi-Fiを提供し「デジタルノマド」の作業場所となる一方、 「デジタルデトックス」を促すために意図的にWi-Fiを提供しないパブや、 スマートフォン使用禁止エリアを設けるパブも増えています。「サミュエル・スミス」チェーンは 2019年に全店舗でスマートフォン使用禁止ポリシーを導入し、話題となりました。 また、コロナ禍では多くのパブが「バーチャルパブ」を開設し、 オンラインでのクイズナイトやビールテイスティングを提供するなど、 デジタル環境への適応も見られました。パンデミック期間中に約2,500のバーチャルパブが 開設され、一部は現在でも継続しています。
社会的意義の観点では、複数の研究がパブの存在と 地域住民の幸福度・健康状態との正の相関関係を示しています。 オックスフォード大学の調査によれば、「地元のパブ」を定期的に利用する人は 社会的ネットワークが広く、地域への帰属意識が高い傾向があるとされています。 また、適度なコミュニティ参加としてのパブ利用は、高齢者の認知機能の維持にも 寄与するという研究結果もあります。 こうした社会的価値が認められ、2011年の「地域化法」(Localism Act)では、 パブを「コミュニティ価値のある資産」(ACV)として登録し保護する 法的枠組みが導入されました。この制度により、2,000以上のパブが「コミュニティ資産」として 登録され、急な閉鎖や用途変更から保護されています。
近年は「サードプレイスパブ」のように、カフェとコワーキングスペース、 パブの機能を融合させた新しい形態も登場しています。特にパンデミック後の テレワーク普及を受け、日中はコワーキングスペースとして機能し、夕方からはパブとなる 「ワークパブ」も増加傾向にあります。また、多文化社会の 発展に伴い、伝統的なイギリスパブにアイリッシュパブ、スポーツバー、 マイクロパブなど多様なバリエーションが加わり、パブの文化的多様性も 広がっています。特に「マイクロパブ」は2010年代に登場した新しいコンセプトで、 小規模で地元のリアルエールに特化した約800軒のパブが全国に広がっています。 こうした変化の中でも、パブがイギリス社会の重要な コミュニティインフラであることに変わりはなく、社会変化に適応しながら その社会的役割を進化させ続けています。